コラム

# 008 〜 凄い奴! ~

前回に話した様に結局、高校在学中は甲子園には手が届きませんでしたが、決して我が母校を選んだ事には悔いはありませんでした。
今思えば、高校野球とは野球人生においても凄くインパクトがあります。
辛い事、楽しい事、悲しい事を今でも昔の球友と話す事が多いですね。
「あの時東海大相模が居なければ」「あの時お前がエラーしなければ」「あの時お前が打っておけば」とかね・・・
今でも印象に残っている試合を一つ紹介しましょう。

あれは私が高校1年の秋の県大会です。
やはり、ライバルは東海!
1年の夏はベンチに入っていなかったのですが、川崎球場で東海戦の時、私はスタンドのネットにかじり付き、ネット越しに当時東海のライトを守っていた『津末(現巨人軍広報)かな?』に罵声を浴びせていました(笑)。
そして津末も「誰かうるせぇ~な~」と言う様な顔でこっちを見ていました。
夏の大会も終わり、秋の大会が始まり、予選は各高校のグランドで行われました。
我々は東海大相模のグランドでの試合の為、相模に足を運びました。
前の試合で相模が順当に勝ち、我々と入れ替えで東海ナインとすれ違いました。
なんとその時、津末が私の目の前に現れたのです。
みんなは『辰ちゃん』に見とれていましたが、私の視界にはあの川崎球場で罵声を浴びせた津末しか見えませんでした。
しかし、その津末が私とすれ違いざまに「頑張れよ!」と一言つぶやきました。
「シメシメ、あいつにはあの時のヤジは聞こえていなかったな」と安心して試合に臨んだ結果、我々も勝ち、次回の東海戦にコマを進めました。

長くなりましたが、次の東海戦が私の一番印象深い試合で、会場は保土ヶ谷球場!
事実上、決勝戦と言われる準決勝、私は一塁手で出場。
やはりこの試合も試合前の挨拶では相模ナインを追いかける事になり、前日、誰が辰ちゃんの所に行くかで盛り上がりました。

試合が始まると、我々はこの日の為に、秘密兵器としてエースピッチャーは(普段はオーバースローですが)辰ちゃん用にサイドスローの練習をしていました。
1打席目で辰ちゃんはオーバースローで投げてくる球をレフトスタンドへホームラン!
次打席では、いよいよ秘密兵器がものを言うと思い、みんな楽しみにしていた事と思います。
しかし、サイドから投げられた初球、見事にレフトスタンドへホームラン!
我々は唖然としました。まるで漫画を見ている様でした。
それと同時に「すげ~奴だなぁ~」と思いました。

試合は我々がリードしながら9回を迎え、陽も西へ傾き、2アウトで打者に辰ちゃんを迎えました。私は打てなくてベンチに下がっていましたが、あの場面は今でも目に焼き付いています。
ピッチャーは『元阪神タイガース中田』で、高めの球を辰ちゃんの振るバットが空を切り、ゲームセット!!
辰ちゃんは大きく足を開き、天にバットをかざしている姿が印象に残り、その背後で飛び上がる私の姿が当時の女性雑誌セブンティーンに載っていました(笑)。

その後、私達は関東大会に出場しましたが、1回戦敗退の為、甲子園の夢は閉ざされてしまいました。
しかし、東海大相模の甲子園出場を阻止した一戦でした。
そんな印象に残る辰ちゃんが、今では巨人軍の原監督。

ガンバレ、辰ちゃん